かみかわ銀の馬車道
歴史あふれる街のみどころ
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日本初の“高速道路”銀の馬車道を歩く

 「銀の馬車道」は、1876年(明治9年)に、生野銀山と飾磨港(現姫路港)の間、約49Kmを南北に結ぶ馬車専用道路としてつくられた道で、“日本初の高速産業道路”ともいえる道でした。
 鉄道の開通とともに徐々にその役割を終え、1920年(大正9年)には廃止された馬車道ですが、改修や路線変更を経ながら、今も大部分が県道や国道などとして使用されています。

粟賀驛の道標
 この地は古くから、丹後・但馬へ向かう道筋が交わる要所で江戸時代に福本藩が置かれてから、商工業者を道筋に集め粟賀町村と命名されました。
 商品流通や旅行者が増えるにつれ、問屋や旅籠の並ぶ宿場町として栄え、生野銀山から大阪城への御銀登(おかねのぼり)道中にここでは中継ぎの人馬を供給しました。
 明治初年からは馬車道がこの町を通り、1894年(明治27年)に飾磨寺前間の播但鉄道が開通したことによりここを発着場として鶴居駅までの乗合馬車が運行されていました。
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〒679-2414 兵庫県神崎郡神河町粟賀町177
馬橋
 粟賀町は古くは町の防衛構造で、横町筋(現在の公民館)で直角に東へ屈曲し、山の麓へ向かうルートになっていました。
 しかし銀の馬車道を建設時に当時の馬車は小回りができなかったのでやむを得ず、この辻から城下町福本村の北総門まで直進するルートに変更されました。この時に東山谷川を渡るためにこの橋が架けられました。馬車道専用道路として建設されたことで「馬橋」と命名されました。
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〒679-2413 兵庫県神崎郡神崎町中村184
銀の馬車道交流館
 地域の交流の場やまちづくりの拠点として2007年(平成19年)10月に開館しました。館内では、銀の馬車道に関する資料展示、地域の自然や歴史、文化などに関する展示などがあり、銀の馬車道関連商品や地域の特産品なども販売しています。
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〒679-2413 兵庫県神崎郡神河町中村78
馬橋
 旧生野街道と呼ばれた道沿いに鎮座し、お堂の周りの岩肌から滲み出る水は、いぼ消しに効果があるといわれ、古くから地域の人々に「いぼ地蔵さん」として親しまれ信仰されています。
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兵庫県神崎郡神崎町中村
  • 観音橋

    ▲観音橋

  • 大橋石碑

    ▲大橋石碑、道標

  • (観音橋)
     法楽寺の参道にあったことから「観音橋」と呼ばれるようになったこの橋は、かつては大橋として20mほど上流にあり、明治初期の「銀の馬車道」はこの大橋が補強され開通しました。その後1903年(明治36年)に現在のルートに変更し木橋がかけられ、その後1929年(昭和4年)にコンクリート橋として整備されました。

    (大橋石碑、道標)
     現在ある観音橋の南側たもとには、大橋石碑と道標があります。これはかつて20m上流にあった観音橋付け替えの時にあわせて移設されたものです。道標をよく見ると、示す地名の方向が違っているのも見どころです。
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兵庫県神崎郡神崎町中村